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山口邸

 空間研究所設計:増田祐子設計「山口邸」オープンハウス 2000.06.24 開催
[空間研究所]

 霧雨の中、山口邸を訪れた。

 この住宅は単体で語るよりも担当者が同時期にやっていた燈居(空間研究所サイト参照)との対比を絡めながら語ることが正しいように思う。

 JR東金駅から程近い敷地は二車線の道路に面しているが、幅員のわりに比較的交通量が多いように感じる。前面道路から建物は駐車スペースを取るためにセットバックしているが、そのセットバックが多めな交通量から住環境を保護している感がある。また敷地右側に私道(?)があるために建物が「壁」として表現されているために内部での開かれた様子を暗示させている。

 駐車スペース部分は枕木が敷かれ、植栽の予定もあるようで建築のアプローチとして建物部分の金属との対比が清々としており好感が持てる。ただ2階へ直接上がる鉄骨階段のヴォリュームと表現が荒い感じは否めない。

 1階のメインエントランスは小さな段差も傾斜にしており、車椅子等の対応をしているがその広さと手摺などのサポート類がないのが気になる。幅の広い廊下/縁側がそこから庭沿いに伸びており居室はそこに面して配置されている。この空間は燈居での2階の空間と同じ質を持っているがその機能に違いがある。燈居ではベランダ/縁側といった+αな空間であるが、山口邸では廊下的なメインストリートとしてより機能的な面が持たされている。この場合どちらがいいかではなく個々の住宅の持つ性格の違いが出ているといったところだろう。ただ一番奥に配置されている浴室は燈居では裏からのアプローチが可能であるが山口邸の場合廊下のみというのは多少疑問に感じる。エントランス側に個室がありリビングなどを挟んで「奥」の機能があるのは計画面として正しいかどうかが難しいところである。

 2階へは1階の裏から訪れてしまったが、外部からと内部間でのアプローチの対比間は良く出来ていると思うが、内部の階段の暗さが気になる。燈居での階段が(高さ関係に関しては難があるが)明るく上昇感が感じられるのに対してこちらの暗さがどうしても気にかかる。それは前面道路に面する居室にも言えることである。2階住居に関しては若い夫婦のための居住スペースがコンパクトにまとまっており好感が持てる。できれば床面とデッキ面の高さが揃えられた方がより広がりが感じられるところであろう。

 しかし前出の2階の個室であるが、その個室の開いている方向がこれで正しかったのか。施主からの要求かもしれないが庭側を向くのと2階住居を向くのでは個室の意味がまったく違ったものになってしまい、その個室の性格がよく読み取れない。

 全体として庭に面してパラレルに配置された居室が大きな開口部に面している明るく風通しのよさそうな住居である。晴れた日は大変気分のよさそうな住宅であると感じた。

 しかしこの住宅の性格としてこのパラレルに配置された居室は正しい選択であったのだろうか。1階と2階の関係性がどうしても半端な感じを受ける。この住宅を(二世帯住宅ではなく)2つの世帯住宅として考えた時に、同居している2つの家族の距離がどうにも近いわりに形態として互いに同方向を向くだけであり見詰め合う視線がない様な感じがある。

 それは正面からの階段がもっと敷地奥に入ってから上がるか、もしくは住居内の裏の階段がもっと2階部分で切れている(建具等でも)ことで印象が変ったかもしれない。あくまでも外部の人間が一見した範囲内であるので家族の内情とは違うのかもしれないが。どうしても平面計画上での燈居の呪縛が感じられる点である。

 また作者の意図とはまったく食い違うかもしれないが、「屋根」の不在がそういう印象を深めるのかもしれない。建築作品の表現として陸屋根を採用してあえて箱のようにするのはわからなくはないのだが、この住宅としてはあえてその表現を押さえて屋根を作ったほうがよかったのではないだろうか。

 屋根と言うのはあくまでも一つのシンボルである。「一つ屋根の下」という言い方は多少ステレオタイプ過ぎて気が引けるが、まさにそのことを居住者が求めている場合もあるのではないだろうか。山本理顕氏の初期の作品に見られる模式図のような配置計画と大屋根の関係が鮮明に語りかけることは「屋根」という存在がさまざなな関係性を包み込むまさに住宅という機械のメタファーであるという点にあるのではないだろうか。

 様々なものを人は住宅に求めるであろうし、それを解析するのは建築家の仕事である。単純な形態としての表現よりもそこから「人」が感じる精神的な形態と言うことにも建築家はあえて気を配るべきではないだろうか。ウワベだけの表層の表現が横行する時代だからこそ。

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